ディスカッションが上手くいかない7つ+αの理由

最近、同期間でディスカッションをする機会が多い。しかしながら、仮にも官僚を名乗る者達が集まっているにもかかわらず、ディスカッションが上手くいかないケースも多い。何故上手くいかないのだろうか。考えられる原因を列挙してみる。

  1. メンバの役割分担が不明確。
  2. メンバが各人思い思いのタイミングで発言。
  3. メンバの意見集約を「選択」ではなく「融和」で統合を試みる。多くの場合、「止揚」にたどり着くのは困難。
  4. 議論の方向性・方策・仮説イメージを定めないまま見切り発車。
  5. 議論の途中で検証を行わず、雲行きが怪しいまま議論を続行。
  6. 分析項目を明確化しないまま情報収集作業に突入。
  7. まとまりかけてからそもそも論を持ち出しテーマ変更を要求。

原則に照らせば問題点はこんな感じか。ただし、我々も初任行政研修や入省以前のフェイズでこれら一般的事項の解決策は心得ている。言わずもがな、これらの問題点を解決する方法は、「リーダの指揮の下、一人ずつ論点に対して発言を重ね、終着点イメージの納得を確認した後、代表意見を修正する方向で意見を集約し方向性を定める。その後、ブレストなどにより分析項目を洗い出し、作業分担し、情報収集を行い、結論をとりまとめる。情報収集作業以後は、方向性自体への反論は受け付けない。」というもの。

しかし、メンバのモチベーションや性質によってより問題は根深くなる。
今回のケースでは、以下の問題点がネックに。

  1. そもそもメンバの根底思想が隔絶。
  2. 一部を除き、やる気がない。
  3. 死にたい。
  4. もうやだこの国。
  5. \(^o^)/オワタ

恋愛の科学の限界

男女間の恋愛の科学について。

男が浮気っぽく、女が男をえり好みする理由は、全ての生物として種を保存するための本能として説明可能だ。男は性交自体は負担ではないのでより多くの女性に対し種を残そうとするし、女性は出産は体に大きな負担となるためより優れた遺伝子・経済力を持つ男を探す。

岡田斗司夫の恋愛経済理論によれば、男性が女性に望むもの(女性の価値)、女性が男性に望むもの(男性の価値)、はそれぞれ以下のとおり。

  • 女性の価値

若さ、見た目、提供サービス、ブランド力(市場評価)

  • 男性の価値

提供できる環境、見た目、コミュニケーションサービス、ブランド力(市場評価)

女性は若い方が出産成功率が高いため若さに価値があるし、男性は堅強な家庭を築く能力が魅力の一つとなる。見た目、というのは美男美女という意味であるが、美男美女は健康であることは勿論のこと、平均的体型・顔であることを意味する。また、見た目、には、整形やメイク、服装での増強を行うことも含む。
上記男女の価値の差額が一般的には、経済力で埋められる。
ここでいう男女とは、身体的性別ではなく、心の性別である。*1

こういった一般理論は容易に理解できるが、少子化社会の現代においては、理解不能な事象も多くなる。まず、男性女性ともに、子供を欲しがらない人が増えているが、これは生物的な本能に反するものである。幸福の価値観が家庭を持つことから別のものへとシフトしているという仮説が考えられる。
また、貨幣経済が崩壊している時点で、女性は男性に経済力を求めなくなるため、金銭による差額の補充が難しくなる。
これらの理由から、恋愛資本主義の崩壊により、ポスト恋愛資本主義が台頭する。ポスト恋愛資本主義社会においては、恋愛欲求は、バーチャルな本能充足によって代替されるし、恋愛テクニックは、金銭で買える物品の提供ではなく、より精神的なコミュニケーションサービスや社会評価というブランド力が重視されるようになる。さすれば、リアル恋愛を逃避したラブプラス厨とリア充モテ男の2極化に進むことは容易に想像できるが、実はそうではなく、メディア洗脳の崩壊したポスト恋愛種本主義社会においては、多種多様化した趣味・価値観のあり様が可能になったため、ニッチな市場でのマッチングが各所で成立している。そうしたニッチな恋愛市場では、精神交流や評価資本が金銭よりも重要な意味を持つ。

金で解決された時代の方がわかりやすくて楽だったじゃないかなぁ。。。とオモフ。


*1:性分化プロセスにおいて生物学的性別の決定プロセスと性自認プロセスの時間差から、性同一性障害は生じるという仮説がある。

国のIT実証事業の意味

経済産業省「ITとサービスの融合による新市場創出事業」について。

オフィシャルな説明は下記のとおり。

本事業は、最新のITとサービスを融合させ、多様な国民ニーズに直結した新情報産業サービス産業の創出を目指しています。そのため、サービス工学研究により、情報蓄積・解析技術等の要素技術群を「要素技術プラットフォーム」として、そのプラットフォームを基に要素技術の組合せによって新市場を創出するサービス工学の研究を行うとともに、公的・社会的な分野において、ユーザ起点・人間起点・生活起点の新たな実証を行います。

実証事業の中でも、ITによる商業空間の創出をテーマとしたe空間分野が面白い。
マップ上にお気に入り情報を付与する街なかショーシャルブックマークアプリ「pin@clip」やTV番組コンテンツをマップ上に配置した「ブラアプリ」など、技術面ではセカイカメラと似たようなものだ。
しかし、国が実証事業を実施した意味は技術的目新しさではなく、商店や放送局、有名コンテンツ(pin@clipの場合は、電脳コイルドラえもん)とのアライアンス形成を実施し、サービスを実証したら、これくらいのインパクト・利用者数がある、ということを世に示せたことにある。また、実証事業をもって世にサービスの一例をアピールすることで、新サービスの創出を誘発する効果もある。

なお、開発された技術自体はバイドール条項により、委託先に帰属するが、実は、委託先は国費補助がなくなってからのビジネスモデルを構築できておらず、前述したアプリは既にサービスを中止している状況。(本委託事業は、21年度末まで。)
ちなみに、twitterでつぶやいたらハンズと無印良品の在庫を知らせてくれるコレカモネットは、サービス自体に広告効果があるため、事業修了後の現在もサービスを実施中。

22年度事業では、新たに3つの実証事業を予定していると聞いているので、こちらにも期待したい。

最強のスニーカー

手持ちのスニーカーが痛んできたので手ごろなスニーカーを探してみた。
ポイントは、①軽量性②デザイン③履き心地の3点。

ABCマートに行ってみると、まずプッシュされているのがメレルのカメレオンだが、この靴はウェット面でのタウンユースでは非常にスリッピーであることで有名なため、まず却下。(防水で滑るとかイミフ。)その他スニーカーは量産型の無難な感じでデザイン的にぱっとしない。履いてみても特に新鮮味がない。

悩んだ末、Amazon.co.jp(Javari.jp)でスニーカーを探していたところ、プーマのフェラーリモデルシューズを発見。(下記商品。)数年前からプーマ×フェラーリモデルのシューズがいくつか出ているらしい。

http://www.sneaker.co.jp/cgi-bin/list.cgi?ctg_id=FERRARI&page=1

さすがというかなんというか、デザイン的には文句なし。洗練されているということはこういうことかと。
予約受付中の「フューチャキャットリミックス」に心惹かれたが、すぐに欲しかったので、スピードキャット 2.9 ミッド SF ブラックを購入。

肝心の履き心地はというと、、、絶妙の軽さと薄いゴム底でありながら薄っぺらさがなく、全く負担感を感じさせない。そして、ドライビングシューズならではの、かかとまでソールがある構造により、非常に軽快なとりまわしが可能な上、素晴しい柔軟性と追従性を実現。
車にはあまり乗らないので、、、バイクを試乗してみたところ、、薄い作りのためか、シフトチェンジが非常に容易になった印象を受けた。

このシリーズ、フェラーリの名に負けない「最強のスニーカー」であるかもしれない。


秘書検定の意味・意義を考える

勉強の一環でたわいもない資格を受けてみるのが趣味なのだが、先日受験した秘書検定2級の合格通知が届いた。

この秘書検定、一般的に取得する意味があるのだろうか?
秘書検定の概要は下記の通り。

  • 文部科学省後援の資格ではあるが、法律に基づいた国家資格ではない。
  • 一開催あたりの申込者数は7万人程度。(申込者数最大の国家資格は情報処理技術者試験で、30万人程度。)
  • 受験者の7割が学生。98%は女性。

で、内容だが、2級は簡単だ。6割の合格点なら、常識さえあれば受かる。私は、勉強時間4時間でほぼ全答であった(下記テキスト使用)。結論からいえば、この検定は常識力を測るものでしかない。
だが、問題が簡単で100点を取ることが容易かといえばそうではない。その点では、船舶免許筆記試験や東大入試の数学よりは遥かに難しい。

例えば、以下の問題は個人的に難問だった。。

秘書A子の上司(部長)はスケジュールに沿って行動するが、スケジュール通りにいかないこともある。次はそのときのA子の対処である。中から不適当と思われるものを一つ選びなさい。
①F部長との打ち合わせのじかんなのに、外出先から戻ってこないとき
F部長に、上司は外出先からの戻りが遅れていると話、待ってもらえるかと尋ねた。
②予約客から、都合で15分ほど遅れると連絡が入ったとき
この後予定は入っていなかったので、客には待っていると言い、上司にそのことを伝えた。
③風邪気味だと言って昼に退社したとき
午後取引先に一緒に出掛けることになっていた課長に、事情を話して取引先への対応を頼んだ。
④取引先の専務の葬儀に参列することになったとき
上司に、業界団体の定例理事会と重なるが、理事会へは課長に代理で出席してもらおうかと尋ねた。
⑤予約客が待っているのに会議が終らないとき
予約客に、会議が長引いているので上司に知らせてくるが、どのくらいなら待ってもらえるかと尋ねた。

テキストで勉強した感触だと、基本的に、この手の問題は、「秘書が勝手に判断するようなことではない」という理由で不適切解が導かれる。よって、勝手に判断し、対処をしてしまった②が解となる。しかし、私的には、④において、どちらの案件を優先するかを秘書が判断しているのが少し気持ち悪かったりするわけで。。。むしろ②はそれ以外の対応が想定されないとして、常識の範囲内で許容されうる気がする。

結局は上司次第で、杓子定規で振る舞いを規定することが自体が本資格の本質的誤謬であるということはさておき、秘書検定は、「もっともありがちな」振る舞いの道標としては一定の意味を持つのだろう。。

さらには、一般的な書類整理用トレーの絵が与えられ、○○トレーの○○に当てはまる言葉を答えよ、という問題もあった。
「そんなもん、トレーはトレーだろ!」という話なわけで、これがわかったからなんやねん、という。。(答えは、デスクトレーらしい。。。私は、職場では、机の上には置いていませんが!)


ちなみに、私が課のアルバイトの採用をした際は、秘書検定の合格暦有無は全く参考にしませんでした!

秘書検定クイックマスター2級

秘書検定クイックマスター2級

ブログを書く意味

ブログを久々に再開してみる。(旧ブログからのみ当ブログにリンク済み。)
何故、今更ブログなのか?
まず、ブログという媒体を選択した理由は、情報を整理して世に提供し、そして、評価を得るための媒体として、ブログが最適な媒体だからだ。さらに、私という個人が「今」ブログを書く理由は下記の理由に集約される。

近頃、岡田斗司夫氏が唱えている(より正確には、クリス・アンダーソンのフリーからの連想だが)「貨幣経済評価経済」はある意味的を射ている。詳細は岡田氏のブログ/ひとり夜話を参照していただきたいが、フリー化とは、「ITの隆盛により物流が極限まで高度化し、情報流通がフラットになった社会においては、情報はフリー化し、物は極限まで原価に近づく」ことであり、そうした社会においては、貨幣価値ではなく、人からどれだけ評価されたかが最大の意味を持つ「評価経済社会」になるという。つまり、物の価値はクチコミを中心とした評価に依存するし、人の価値は、どれだけのお金を稼げるかではなく、どれだけの人に評価されるかで存在価値が規定される。この変化は私の肌感覚では容易に理解できる(勿論、たやすく容認できない人もいるだろう)。そして、他人の「評価」をストックする最もオープンかつフリーな手段がブログである。よって、私はブログを再開する。

字義的には、ロジスティクスとは、物資調達のことであり、サブスタンスとは、内容。霞ヶ関用語においては、物事の段取りや準備のことを「ロジ」といい、政策や方針の中身のことを「サブ」と言う。(以後、注釈なく本用語を多用する。)中央省庁キャリア官僚といえど、1年目からサブに関れる機会は少なく、主には、ロジ業務が中心となる。(ロジの中でも、ミスをして大事故になるような案件を一年生が担当することは少ない。)実際に、サブ業務に携わるのは2年目以後であるが、今、私がその時期にあり、思考能力や文章作成能力を鍛える必要があるため、本ブログを書く中でそういった能力を鍛えることがもう一つの狙い。

  • タイミング:そろそろ評価が欲しい時期

岡田斗司夫氏はかつて「プチクリ」という概念を提唱していたが、それは、「クリエイティブは楽しいことだから、創作を楽しんで生きたらいいじゃん!!」という考え方であり、そこに評価という軸は重要視されていなかった。私自身、学生時代は誰かに評価されることを目的に生きていなかったし、自分が何をできるか、自分の能力をどれだけ高めるか、自分がどれだけ楽しむか(=他人が何と言おうと自分のセカイが重要、っていうエヴァとかイリヤとかの中二病的なアレね)を主眼として生きてきた。でも、社会人となり、嫌がおうにも人事評価システムに晒され、オフはオフでもネットでは評価経済が横行する始末。そういうことを冷静に考える時間があれば、プチッと限界ブレイクしてブログへと衝動が書き立てられるのは容易なわけで。

一度、本気で評価獲得を狙ってみよう。
刺激や目標がなければ、人は成長できないのだから。

と試しながら一日目。